こんにちは。ろむです。
本文は批判的な内容を含むため、純粋な感想をご覧になりたい場合はご遠慮くださると幸いです。
メイクアガールを観た感想になります。
クラウドファンディングでつくられた、インディーの映像作品ということになるのだろうか。
映像が素晴らしく、個人とは思えないクオリティをしている(流石に普通の映画と比べるとマンパワーの違いもあってか見劣りするが、それでも日清のCMであったFREEDOMっぽい感じにはなっている、スゴイ)。
率直に言えば、主人公に感情移入できず、話についていけなかった。主人公は対人関係能力にズレがあるというよりは、人の感情読み取りどころか感情がないような異常性を感じさせる。主人公の温度感のない対応は0号に否応なく晒されることとなり、構図がDV彼氏とそのカノジョのそれのように思う。実際明は常に0号とは彼女ではなくロボットとして接し続けており、成長に感心している描写は、機械学習の発達に感心しているのであって、彼女を褒めているのではない。人to人の関係ではないために料理を作ってくれたことに対しても感謝の一言も生まれず、あくまで「お給仕」するための機能の一環としか捉えていないように見える。にも関わらず、明の所作振る舞いは(アニメ的にの枕詞はつくが)カレシであるため、ゲームのキャラクターや人形を「俺の嫁」と称するような図式に思える。
もっとも、本来のカノジョ作製の目的とは明自身の能力の強化であり、補助媒体的にとらえれば機械的な対応に一貫性がないわけでもない。ただし、0号との認識の齟齬が終盤の破滅に繋がるのだが、その構図はもはや遊びで付き合ったホストと全てを差し出しそれでも捨てられ躁狂しきった客である。
ところで、明自身に父親の描写がないこと、危機的状況下における明の瞳孔色の変化といったロボット特有の生体制御らしい描写があることから、本当の「0号」である可能性があり、感情の希薄さがそこに起因するものだとしたら、明の反応は一定の妥当性を持つ。
作品全体の印象や構成に無理を感じさせてしまっている側面として、登場できる人数が限定されてしまう側面が大きいように思う。特にファミレスやオフィスのシーンでは顧客や社員が常にいない状態であり、従業員に関して言えば生徒同士のみで、まるで生徒運営の食堂だ。街を、作品を息づいたものとするには常に「なんでもない人」の生活があらねばならないのかもしれない。しかし、CG作品である以上は人を作るにはそのコストが大きすぎるゆえに障壁がある。ゆえに登場できる人間を限定せざるを得ないのだろう。その点において規格化されたソルトという存在は、なんでもない人の穴埋めにうってつけであったといえよう。いっそ研究室のみなど閉塞的な空間で演出された方がこの手の作品は作りやすいのかもしれない。
散々酷評しているが、個人的には高評価である。まず、この映画はクラウドファンディングであり、限られたリソースで仕上げている。人も時間も金も限られたタイトな制限下においてここまで仕上げられるのはすごい!特に映像においては、カラスが街中を飛ぶ描写や、アクションシーンはカメラワークのよさは感動する。特にソルトが高速で移動する描写は一見の価値がある。そして、境壁に「非常の際には、ここを破って隣戸へ避難できます」と書かれているなど空間への微細な配慮や、0号の部屋にはアノマロカリスのぬいぐるみを配置するなど、好きなもの、やりたいものを詰め込んだそんな雰囲気を感じる。
なにより、この映画は映画史において意義あるものだと感じている。映画史には明るくないが、一個人が映画を作るのは初なのではないかと思う。映画制作が大衆の手に渡った象徴的な作品になったのではないか。次回作が放映されたら進化への期待も含めて是非観てみたい。
以上